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鈴木祥子15周年イベントレポート
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■懐かしい写真編

1989年リリースの「水の冠」のジャケット写真には「謎の工作員」、1990年の「FM STATION」という雑誌の写真には「薄幸なOL」と見事なキャッチフレーズを付けていく祥子さんと能地さん。会場大爆笑でした。
「水の冠」のジャケットに「まゆげ太すぎですね」と自ら突っ込む祥子さんから、当時は、美容院やブティックに連れていかれて、自分じゃない自分になっていくことを止められなくて、実はとっても恥ずかしかったとの告白も。デビューして最初の3年間は、言われるがままに動いていたし写真を取られていたそうです。

「FM STATION」で能地さんが祥子さんのインタビュー記事を書いたのが、二人の出会いだったとのこと。この時のインタビュー内容は、能地さんも祥子さんもお気に入りだそうです。インタビューの後、電話番号を交換して、その後13年のお付き合いになっているとか。いいですね、こういう出会いって。

当時の祥子さんのパブリックイメージは、「さわやか、フェミニン、風のような」だったそうですが、本人的には全然違うと思っていたようです。能地さんも実際会ってみて、「違うな」と分かったとか(笑)。

■懐かしい映像編

  • ベイビー イッツ ユー」(日比谷の野音でのライブ映像)
    衣装は、アメリカンな感じに白いTシャツ、ベストにギャザースカート。
  • 「夢の庭で」(日清PowerStationでのライブ映像)
    真っ赤なジャケットに大きな肩パッドが、時代を感じる映像です。
    この日は、肺炎、腱鞘炎、風邪と全員具合が悪く、「バンド内学級閉鎖」状態だったそう。映像を見る限りそんな気配は全く感じない。さすがプロです。
  • TRUE ROMANCE」のプロモーションビデオ
    冒頭のキッチンシーンが、宇多田ヒカルのプロモーションビデオみたいで、小芝居している自分に祥子さんは照れてました。でも、ファンには嬉しい映像。真っ赤なワンピースがキュートです。
  • 「3月のせい」(京都磔磔でのライブ映像)
    また赤のレザー系の服でした。ここまで披露された映像の衣装は赤が多いな。

■15年は長かった!? 激白編

デビューしてしばらく経ったころの祥子さんは、現実に過剰適応しようとしててキャパがいっぱいいっぱいだったそうです。スタジオに軟禁されて泣きながら曲書いたりという辛い告白も。
明るいアルバムという印象が強い『RadioGenic』(1993年)の頃には、かなり苦悩していたという祥子さん。
「もう創れない、CDを創ることが大変過ぎた」と思ったとか。
「引退」の二文字が頭をよぎったこともあったもよう。『RadioGenic』が明るいアルバムなのは、辛さの反動だったみたいです。

しかし、ひと山乗り越えた彼女は、自分のできることをやればいいという方向に立脚点を変えて、1995年に『SNAPSHOTS』というアルバムを創ったのです。
祥子さんを含めて3人だけのバンド構成で作った自信作で、「これは売れるぜ!」という手ごたえもばりばりだったのに、結果は、大バッシングだったとか。

デビュー当時の「細部まで作り込まれた」作風が好きな人にはイメージが違うと思われたかもしれないけど、核になる部分は変わってないし、鈴木祥子のどこを見てるかというところでファンをふるいに掛けることになったアルバムではないのかな、と能地さんがフォロー。

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