「幸福の王子」
日本テレビ系 水曜夜10時
番組ホームページ http://www.ntv.co.jp/ouji/index.html
■第3回
平成4年(1992年)
26才の本木雅弘は、なんとあの名作「シコふんじゃった」に主演。この映画の監督は、1996年「Shall We ダンス?」を大ヒットさせる周防正行監督。もちろん、「シコふんじゃった」もヒットしましたよね。
内容を思い出したい人は
http://www.kmoviefc-jp.com/insight/sikofunj.htm
http://www.urban.ne.jp/home/ubik/cinema/cinema273.html
をチェック。手に入れたい人は以下をチェック。
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その他、「魚からダイオキシン!!」や「普通の人々」と映画出演が続く。美形若手役者としてのポジションキープか?
そして、その頃、周平は。海の優しい嘘の騙されて平和に暮らしていた。「知らぬが仏」という言葉がある。「なにも知らなければ腹を立てることもなく、平気でいられるということ」という意味である。知らなければ、怒ることもなく、悲しむこともなく、はたまた、傷つくこともないことだってある。だけど、人は知りたがる。そして、知ってから「知らなきゃ良かった」と呟く。最近、私の周りで起きた出来事は、私にはまったく関係ないのも関わらず、いろんなところからいろんな形で耳に届き、結局、自分自身で聞かなかったことにできなくなってしまい。ちょっと口をだし、そのために嫌な思いをするという出来事だった。だから今は、息を潜めることに決めたのだけど、沈黙というのも、案外と難しいことというのも実感しているので、私のこの沈黙もけっこうハードなのよねん。そうそう、女は怖い、男だって同じだけど、でもさ「知らぬが仏」でお互い幸せならそれもいいよね。
ドラマ内の渡部篤郎。好きな女を手に入れるためならとことんやる、その潔さがいい。
■第2回
平成3年(1992年)
26才の本木雅弘は、2本の映画に出演。樋口可南子主演の「陽炎」と本木雅弘主演の「遊びの時間は終らない」。シブがき隊というグループから独立し、個人でのプレイを確立し始める。映画出演は役者として本格的にスタートをする覚悟なのだろう。
そして、その頃、周平は。海と幸せに暮らしていた。しかし、1分後何が起こるかなんて誰にも分からない。1秒後だって。食事をしていて、好きなものを最後に残す人と、最初に食べちゃう人がいるけど、みなさんはどっち派でしょう? 私は、先に食べちゃう派。だって、1秒後に何が起こるかなんて誰にもわからないもの。突然、お皿を落として大好きなものが食べられなくなってしまうことだってあるかもしれない。そんな風にちょっとした危機感を感じながら生きてる(大げさかな?)。で、今回、海(菅野美穂)は、周平に伝えたい嬉しいお知らせをちょっと先延ばしにする。そのちょっとした先延ばしが、永遠に言うことのできないことになっていく。そういう運命だったのよなんて片付けたくない。だから、私は今日も、好きなものを最初に食べる。
■第1回
平成元年(1989年)
主演、本木雅弘
23才の本木雅弘は、大きな転換期を迎えていた。彼は、昭和56年に「2年B組仙八先生」でデビュー。その後、「シブがき隊」の一員として活躍、そしてなんとこのドラマの出発点である、平成元年に「シブがき隊」解散。ソロでの活動を始める。ちょっと運命? ってことで、本人の歴史と重ねつつ、このドラマを振り返るのもいいかも知れないな。
「好きな人にはちゃんと好きっていわなきゃだめなんだよ」と言う周平は、15年前には自分の力で大好きな人に告白ができなかった男。ドラマでは、良しとされるけど、現実にいたら、もっとしっかりしてよ! って言いたくなるタイプ。その彼に何があったか、オープニングから、周平は、白髪でやけどの痕を持ち、足を引きずっている。雑誌の前評判よりひどい姿ではなかったけど、そのあたりはどうなんでしょう?
井森美幸(実年齢34歳、ドラマ年齢37歳)が17歳の娘を持つ母親役。もう、充分そんな年代なんだ、私たち。時の流れを感じまくり。
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